今回は、私が最初に勤めたアイネスと言う会社での社内プロジェクトのご紹介です。
1995年でしたが、アメリカに本社を置くプログレスソフトウェアのシステム開発用のワークベンチであるプログレスの評価プロジェクトです。
当時私はアイネスのオープンビジネス部に籍を置いており、当時流行していたクライアントサーバー型のシステムの販売や開発を担当していました。
クライアントサーバーと言っても、サーバーはUNIX、DATABASEは殆どオラクル、PC(クライアント)はWindowsでフロントはEXCELやAccess/VB等様々でした。
売りとしては、汎用機の様に大掛かりで高額ではなく、安く早くというどこかの外食チェーンのような内容でした。
営業にしても開発にしても、お客様の趣味に合わせて素材や技術者を手配するので技術の蓄積も難しく、毎回一からの開発で、しかも安く早くですから運用やセキュリティー等の制御系はツールの使いやすさを優先するためあまり考慮されず、障害が多発している時でした。
社長と研究所の所長から依頼を受けた時は、既にプログレスは決まっていて、何人かそのために採用も住んでいました。
依頼の理由は、採用してライセンスの購入はしたが全然進んでいなかったからです。
メンバーは私に一任されましたが、既に採用されていたメンバーは使いませんでした。
その代わり、その10年前に担当した日商岩井の情報技術部隊にアメリカ本社との交渉は任せて、実働は私と当時の同僚1名の2人でした。
とにかく評価軸を決めて何かを開発して動かして見せようと言う方針で、そうなると大人数ではかえって邪魔だと思いました。
評価軸は以下でした。
1, 開発生産性
2, データデースの親和性や拡張性
3, 日本語対応
4, プログレスの応用実績
4,の応用実績は日商岩井から直ぐに集まりました。
驚いたことに実績のほとんどはアイネスの同業者、つまりシステム開発のプロでした。
先ずは当時のアイネスオープンビジネス部が使っていたエクセル等とは違い玄人向けのワークベンチと位置づけました。
1,の開発生産性は汎用機のCOBOLとの比較で、画面数などから見積もったCOBOLの生産性と比べて約5倍のスピードでした。
2,のデータベースの親和性や拡張性は、プログレスの標準データベースであれば、特に問題はなく、逆にオラクル等と組み合わせようとすると、Cで制御部分の開発が必要でした。
3,の日本語対応は、画面の見出しなどは日本語を使えましたが、データベースに日本語は使えませんでした。
それ以外で、大きな特徴は、プログレスワークベンチには排他制御その他の素人ツールには無い機能が標準で備わっていたことです。
同等の機能を持つワークベンチはSAP ABAP4/WBとオラクルEBSワークベンチだけで、
日商岩井との調査では当時世界に3つだけでした。
結論は出ていたのですが、アイネスの紙でやっていた勤怠管理の機能をプロトタイプとして開発しました。
デモンストレーションを交えた発表会には、狩野社長・小柳研究所長・日商岩井・プログレス本社の外人迄来てしまって大事になりましたが、その場で関連会社の設立が決まりました。
新会社の社長には、ソニー出身の熊谷氏を中心にアイネスから何人か出向して、営業を開始しました。
ところが、そのプログレスKKは約2年で営業を停止しました。
理由は日本語化の遅れでした。本社は日本語化の必要性をあまり考えておらず、日本で勝手にやるだろうくらいの認識でした。
その反省から、プログレスを去った熊谷氏は翻訳会社のIDSを起業、業績を伸ばし現在はアイネスから出向していた中野君が社長です。
このプロジェクトから学ぶことは多かったですが、一つ悔やまれるのは、ワークベンチそのものを販売するのではなく、アイネスのオープンビジネス部の標準開発環境として、実績を積んで、そのノウハウを売るように提案できなかったことです。
レベルは違いますが、ノウハウを製品にしたSAP R/3を私自身が扱うことになったのは、あながち偶然ではなかったのかも知れません。
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