1994年に名古屋空港で中華航空の旅客機が墜落・炎上した事故発生から、4月26日でちょうど27年。乗客乗員264名が死亡し、1985年の日航機墜落事故に次ぐ日本の航空史上2番目の大惨事となりました。改めて、どのような事故だったのかを振り返ってみましょう。
以下、引用記事を掲載します。
私なりにこの事故について、知り合い等に意見を聞いてみましたが、日本有数のエアラインの機長の言葉が、事故の本質を表しているのかも知れないと思います。
「ボーイング機はいざという時はパイロットを優先、エアバスはシステムを優先、機長としてはどちらが正解と言う立場にないが、コンピューターはパイロットを補佐するものだと思う」これは、現在の行き過ぎたAIやDX騒ぎを繰り返すIT業界にも警鐘を鳴らす言葉だと思います。
1994年、名古屋空港近くに墜落 台北発名古屋行きの中華航空140便(エアバスA300-600R)が名古屋空港の滑走路近くに墜落したのは1994年4月26日午後8時16分ごろ。機体は大破炎上し、乗員乗客264名が死亡、7名が重傷を負いました。
同機の動きを追ってみましょう。台北国際空港を離陸したのは午後5時43分(日本時間)。後後8時12分には名古屋空港の滑走路から一番遠いアウターマーカー(無線標識)を通過、同13分頃には名古屋タワー(管制塔)に「着陸支障なし」という報告がありました。ところが、その約2分後、「ゴー・アラウンド」(着陸やり直し)を管制塔に伝達。その直後、同機は上昇し両エンジンから出火、墜落したのです。
機内では何が起きていた? 運輸省航空事故調査委員会が行ったボイスレコーダーの分析によれば、操縦していたのは副操縦士でした。着陸に向けて順調に下降を続けていたものの、副操縦士が誤って「ゴー・レバー」(着陸やり直しレバー)を作動させたことで「ゴー・アラウンド」モードに移行。機長がゴー・レバーの解除を指示したものの、副操縦士はそれを解除しないまま、オートパイロット(自動操縦装置)を起動しました。
機長の指示に従い、着陸に向けた降下を試みる副操縦士。操縦桿を押して機首を下げようとしましたが、自動操縦装置はゴー・レバーが入っていたため、動作に反発して逆に機首が上昇。昇降舵は機首下げ限界まで、水平安定板は機首上げ限界まで移動し、水平安定板は“へ”の字に曲がってしまいました。
どんどん異常な体勢になる機体。立て直しを図ろうとしたコンピューターはエンジン出力を上げる失速防止装置を作動しました。しかし、これによって機首はさらに上向きます。機長が操縦を代わり着陸をやり直そうとしたものの、異常体勢時に急上昇したことで機体が失速。そのまま墜落という最悪の事態になりました。
人間優先か、機械優先か
事故は、副操縦士がゴー・レバーを誤って作動させたことに端を発しています。しかし、そもそも自動と手動の2つの系統が同時に作用していることを知らせる警報装置が装備されていなかったこと、同型機で過去に同様の事故が発生していたにも関わらず、オートパイロットの改修情報が十分に注意喚起されていなかったこと、コンピューターの命令が常に優先される設計になっていたことなど、運輸省航空事故調査委員会はこの事故を「さまざまな要因が複合的に絡んだ結果」と結論付けました。
ゴー・アラウンドモードは事故後、ワンタッチで解除できるよう勧告・改修されました。しかし、1998年には台北中正国際空港(現:台湾桃園国際空港、チャイナエアライン676便、エアバスA300-600R)で同様の事故が発生。当時の教訓が生かされていないという批判もありました。
テクノロジーの進化によって、システムの理解不足や誤信号によるエラーなど、ハイテク機特有の事故も増加傾向になるようです。中華航空墜落事故は「コンピューター=安全」という過度なハイテク機信仰に大きな波紋を投げかけたともいえます。
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