表題の日本海海戦と英国石炭史と言うのは、私が学生の頃に聞いた大学の教授の講演の演題です。
その時の教授の専門は西洋経済史、今では「西洋」と言うのは死語かも知れませんね。
当時私は歴史小説が好きで、司馬遼太郎さんの坂の上の雲は何度も読んでいました。
講演の内容を思い出しながら、明治期の日本、特に日露戦争時期のヨーロッパ列強や英国から受けた印象についてご紹介します。
時期は1906年前後ですから、日本は江戸期から明治に移り、日清戦争を経験して、列強の植民地政策に備え、富国強兵の最中でした。
世界では、英国の蒸気機関を始めとした産業革命が進行して、軍事的には海軍軍備、特に軍艦の建艦競争や燃料の石炭の確保が大きな課題でした。
そんな時に、当時の帝政ロシアが南の不凍港を求めて、ウラジオストックや旅順の軍港を開港し、陸軍も鉄道建設や極東への軍事進出を進めて、日本と真正面から利害が衝突することになりました。
日露戦争の開戦時期には、諸説があり、御前会議の決定であるとか、外交上の最後通牒であるとか言われています。
教授の考えでは、日本が当時最高品質と言われた、英国ウェールズ炭を当時のお金で10億円買い付けたことで、世界が開戦を認知したと言う事でした。
そのことや、イギリスから海軍自体を輸入したこともあり、当時不可能と言われた日英同盟も成立しています。
同盟と言っても、英国が日本と一緒にロシアと戦う訳ではなく、あくまでも英国は中立を守ると言う立場であったようです。
中立と言いながらも、英国は日本の戦時外債募集に協力的でした。(実際に大量に購入したのはロシアに抑圧されていたユダヤ人だったようです)
満州の陸戦は省力して、日本海海戦に関連した事柄を英国中心に述べると、ロシアのバルチック艦隊が日本に長期の航海をしている時、英国海軍はバルチック艦隊の後を付けて途中で石炭や水などを積み込むための寄港をことごとく妨害しました。
教授の見解では、英国がロシア海軍に対して日本から見て、最も効果的な手は、世界で最低品質の日本の夕張炭を売りつけたことだそうです。
これにより、ロシア艦隊、特にバルチック艦隊は速度が出ず、また煤煙の為射撃の狙いもつけることが難しかったとのことでした。
他にも日本艦隊は、まだ無線もない時代、英語の旗流信号を日本語に訳して艦隊運動を上達させたこと等もあり、海戦では日本側のまれにみる勝利につながりました。
この背景には、当時の英国・日本の外交レベルの高さ、情報戦のレベル等もありました。
根底には、帝政ロシアは一部貴族、特に皇帝のみのために存在し、国民や他民族を犠牲にして領土拡張に終始したのに対し、英国や日本は資源こそ無いですが、軍事だけでなく、外交、財政面でも世界を味方につけたと言えるのかも知れません。
この戦争は、日本海海戦で事実上決着し、アメリカのルーズベルト大統領の調停で、英国のポーツマスと言う小さな港町で、終戦協議が行われました。
日露戦争は、日本とロシアの戦争ではありましたが、始めも終わりも、その舞台を提供したのは、英国だったのかも知れません。
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