これまでの投稿とかなり外れています。
でもこれは、私が技術者を目指した、原点であり、凄い人たちがいたというそれだけかもしれません。
1937年ころ日本海軍から三菱重工に新しい艦上戦闘機の開発依頼がありました。
要求仕様書には、いろいろ無理難題がありました。
突き詰めると、強い戦闘機をつくれ、という事だったみたいです。
これに取り組んだのが、当時の三菱の若い技師二人、堀越技師と曽根技師だったと言われていて、事実そうでした。
ただ、強い戦闘機と言われても、何をやって良いのか分かりません。
この二人は、強い戦闘機って何?を定義するところから始めました。
先に答えを言うと、旋回半径が短いこと、ではそのためには?と戦いが始まったそうです。
強度、軽量化、重火器、航続距離、空母離発着の可能性、きりがないです。
でもこの二人には、物事を単純に具体化する能力があったようです。
これから、色んな局面で、彼らが何をしたのか。それに触れて行きます。
結果として出来上がった戦闘機は、3000kmをゆうに往復し、20ミリ機関砲を持ち、旋回半径500メートル以下と言う化け物でした。
この時点で、致命的欠陥を持つに至ったのですが、それも含めてしばらくお付き合いください。
それでは、次回は常識を疑え、です。
この物語には、単に開発だけではなく、10000機以上と言う量産のノウハウもあります。
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