当時の三菱と言うのは、ほとんど国家と同じような企業体だったようです。とは言え、当時の軍からの開発要求に答える能力がある企業もそんなに多くはなかったようです。
零式艦上戦闘機の開発過程では、様々な会社との協力関係も必要であったと思います。
その代表が、中島飛行機ではないかと思います。
ご存知のように、中島飛行機は、零式艦上戦闘機のエンジンである「栄」を開発した会社ですが、後に中島飛行機は、海軍に採用された零式艦上戦闘機の、ライセンス生産を担当し、10000機以上の量産に貢献しています。
当然、三菱にも発動機部門はあって、中島のエンジン採用には「面子を潰された」との声も大きかったようですが、堀越技師や曽根技師その上司、発注元の海軍技官は開発のスピードと性能を迷わず優先したとの事です。
面子を捨てて、重要な課題に資源を集中すると言う考えが、戦時中の日本軍部や巨大企業にも存在していました。
今はどうでしょう?
他にも、細かい技術は多くありました、今は当たり前の+ネジもそうです、しかも頭部の丸みを削った、平らなネジで、しかも組み立ての際に、ドライバーの先端に乗せることが出来て、生産性も上がったそうです。
次回は、実用化するために必須であった海軍のテストパイロットの話です。
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