テストパイロットのお話の前に、今までの投稿をまとめてみたいと思います。
何故、自動車もろくに作れなかった日本が、当時の常識を超えた戦闘機を開発できたのか?
1, 漠然とした要求を、具体化数値化することを可能とした、三菱の技術者たちの思考能力。
2, 具体化したら、それに向かって新しい常識を作り出すことを可能とした、ブレークスルー志向。
3, それらを使用可能にした、技術力。
4, 面子や社内都合を超えた他企業との協力体制。
等でした、最後には最終的に試作機が使用に耐えるかどうかのテストになります。
航空機は一種の高度なシステムと言えます。
そのテストは、単に1+1=2であれば良いと言うものではなかったようです。
離陸着陸、航空性能、上昇限度、急降下、引き起こし、機体の強度等過酷なもので、それを担ったのが海軍のテストパイロットでした。
階級は少尉クラスと言うことでしたが、今の組織では席に座って現場には出ないレベルですね。
しかし、当時の海軍、中でも操縦に関わる人たちはそんなことは無かったようです。
これらの、テスト飛行で殉職したパイロットもいたようです。
それらの犠牲は、開発した技術者にはつらい物でしたが、そのたびに改良を加えて行って、当時世界最高性能の戦闘機が誕生しました。
ここから先は、書籍や映画などでご存知の方も多いと思います。
最後に、この戦闘機の致命的な弱点に触れます。
零式艦上戦闘機は、低いエンジン性能や、オクタン値の低いガソリンをカバーして、運動性能や航続距離、重火器、と言う相容れない性能を実現するため、機体を極限まで軽くしました。
そのため、操縦士の命を守る防弾性能や無線設備を犠牲にしました。
後に消耗戦になった時日本側は、優秀なパイロットを次々に失ってゆきました。
結果は敗戦です。敗戦の原因はそれだけではありませんが。
戦後、捕獲された零式艦上戦闘機にアメリカの高オクタンガソリンを使って当時のアメリカの最新鋭戦闘機と、模擬空戦をしたことがあったそうですが、零式艦上戦闘機の圧勝だったそうです。
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